ダンシング・ヴァニティ/筒井康隆2008/03/25

困ったのだ。一読するのは容易だったが、再読するのがなかなか難しく、時系列と変位を縦軸と横軸にとって見据え、内容を理解しなければならない。厄介な小説なのだ。

筒井さんが紡ぎだすこの小説は、確かに物語原型はあるのだが、その異化形態まで繰り返し記述され、その繰り返し部分を次の繰り返しのどこと結びつけるのかを考えなが読むと、読む我等は確実に追い詰められる。読者を追い詰めるのである。

ただ、この小説がテーマを次々に変奏してゆくジャズ的なもの、として捉えると、突然この小説の世界が心地よく、揺蕩う世界となる。テキストの悦楽だけを捕らえるのではなく、その変奏の悦楽をも我等の心の涵養となる。

「筒井康隆は終わった」などという向きもあるが、私の見方は違う。昔の自作の再生産などと言う向きもある。例えば「東海道戦争」と「歌と饒舌の戦記」の表層を捉えると、近似のものだとも言えるだろう。しかし、後者はある意味では「完成」を見たものなのだ。前者が「未完」であるが故に評価されるのであれば、後者が「完成」しているが故に貶められるのは、読者である我等の身勝手であろう。「未完」には正対することはできるが「完成」に正対するにはまだまだケツが青いのである。